今日のこぼれ話
どんなに体に悪いと知っていても
気がついたらマクドナルドにいた、
ということがあります。
食べ終えたスパキチ。
ほかほかの資料を読む私。
目の前でうたた寝する旦那。
隣の席には女子高生の二人組。
私服を着てたけど、
たぶん女子高生。
「FGOがなんたらこーたら」
「あのキャラがどーたらこーたら」
何を話しているかは
さっぱりわからなかったけど
どうやらゲームの話をしているらしい。
ところで、
私はヲタクに対して
とてもいい印象を持っています。
ヲタクが好き、というか
憧れなんです。
自分の好きなものを
目をキラキラさせて話し続ける
その姿。
「私には、こんなに語れるものがない・・・」
そう思うと、
羨ましくてたまらない!!
いわゆる「ヲタク」を認識したのは
中学生の頃。
周りの友達、先輩も含めて
好きなアニメとかラノベとか
そーゆーのが好きな人がたくさんいました。
かの私は、
それに影響されることはなかったのだけど
ヲタクのみんなは、私に優しかったんです。
何かに熱狂的な人ほど
誰かの「好き」も
肯定できるのかもしれません。
それから私はヲタクに対して
好感と憧れを抱くようになりました。
ヲタクのヲタク、みたいなもん。
ややこしい。
いろんな種類のヲタクを知ったのは
大学生の時。
特に好きだったのは、
世界史の先生。
1900年代の戦争がテーマの授業で、
「何万人死にました」
「左翼がどーたら」
全然テンションの上がらない話を
毎回ニコニコ話していました。
内容はあんまり覚えてないけど、
私はただ先生を見たいがために
その科目をとっていたのです。
(まぁ、一回単位落としたけど)
「好き」を語る人は
魅力的です。
聞いて聞いて!
こんなものが好きなの!
ここ、ステキじゃない?
実際話は全然わからないけど、
もうあなたがキラキラです。
なぜ憧れがあるのか?
それは、
私が好きを出すのが
怖いから。
「嫌い」で共感し合うのは
けっこう簡単で、
それは、
嫌いな話の中心に
自分は入っていないから。
でも「好き」を話した途端、
そこには好きを通して
「自分」が反映されます。
「好き」を否定されるということは
「自分」を否定されたと
ほぼ同義になるのです。
それが怖くて、
好きを発信することができなかったり
自分を隠したりする人もいます。
別のテーブルには、
もう一組、女子高生がいました。
あいつがどーなの
めんどくさいなどと
みんなにも聞こえる大きな声で
話している。
どっちと友達になりたいかって言われたら、
私はゲームの好きな女の子たちなんですよね。
きっと同じ思いの人がいる。
ならば、思い切って
「好き」を声に出してみてもいいのかなって。
私の「好き」があなたと一緒なら嬉しいし、
「好きになる」こともあるかもしれないので、
ちょっとずつ、勇気を出して投稿してみます。
あなたの「好き」はなんですか?